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金沢旅行③ ~忍者とは関係ないけど、忍者寺~

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おはようございます!Micandaです。
今日も引き続き、金沢旅行1日目を綴ります。
忍者寺こと、妙立寺を2回に分けて綴ります。

こちらでも少し妙立寺について触れています。→金沢旅行②

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受付

1週間ほど前、電話で妙立寺の見学申し込みをしました。
13:30の回を申し込みました。
受付は10分前の13:20に開始されました。
荷物とコートを荷物置き場に置き、時間までお寺の中で待ちました。
ちなみに、妙立寺の内部はカメラ撮影できません。

なんで忍者寺?

忍者寺と呼ばれている妙立寺ですが、忍者とは全く関わりがありません。
妙立寺の中にいくつもの仕掛けがなされているので、忍者寺と呼ばれているのです。

でも、「なんでお寺に仕掛けが必要なの?」ですよね。
元々は金沢城の近くにあった妙立寺ですが、1643年に犀川(さいかわ)を越えた場所に移築されました。

なぜ川を越えた場所に移築されたかといいますと…

この時代は徳川幕府が日本全国を統一するために、理由を見つけては多くの諸大名を取り潰していた時代でした。
徳川幕府から目を付けられないように、当時の藩主・前田利常公(加賀三代藩主)は徳川家からお嫁さんを迎え、母親を人質に出し、利常公自身はバカ殿を演じていたそうです。
こうすることで、幕府に謀反する気などないという態度を示していたのです。

それだけでなく、徳川幕府に攻め入られた時に備えて準備もしていました。
徳川が攻めてきた時に武士が控える場所を寺にしたのですが、お城の近くではマズいということで犀川を越えた場所に寺院群を移したのです。

2つの川に挟まれた金沢城

金沢には犀川と並行して、浅野川という川が流れているのですが、浅野川を越えたところにも犀川と同じく寺院群があります。

上の地図を見ていただくと分かりやすいかと思いますが、金沢の中心部は川に挟まれているのです。(地図で指している西源寺は特に意味はありません ^^;)
左下に流れているのが犀川、右上に流れているのが浅野川です。

監視所として

妙立寺周辺はお寺がたくさんあるのですが、妙立寺は寺院群の中心に建てられており監視所の役割をしていました。
お寺なのにガラス窓のついた物見台があり、寺周辺だけでなく加賀平野を見渡せたそうです。
また、物見台から金沢城と光による通信もできたとか。

2階建てに見えて…

建立当時は幕命により3階以上の建物を建てることは禁止されていましたが、妙立寺は4階建て7層の建築です。
なぜおとがめがなかったかというと…
外観は2階建てだったからです。

dscf1968

妙立寺を裏側から撮った写真です。(分かりづらいですが…)
2階建てよりは高い気がしますが、まさか4階建てとは思いませんよね。

内部の仕掛け

先ほど妙立寺に仕掛けがあるので「忍者寺」と言われているといいましたが、一体どんな仕掛けがあるかを妙立寺のパンフレットで紹介しているので引用します。

見上げるような屋根、望楼、多くの隠し階段、切腹の間など、種々の仕掛けがあるので「忍者寺」とも呼ばれている。

ガイドさんに案内してもらいながら見てきたので、次回詳細をお話しますね。
とてもよく考えられた仕掛けでしたよ。

 

今日も最後までお付き合いくださりありがとうございました。
それではまた…

金沢旅行の記事の一覧は以下をご覧ください。

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